Q. 式年遷宮って何のことですか
式年遷宮の制度は、今から約1300年前に第40代天武(てんむ)天皇がお定めになり、次の第41代持統(じとう)天皇の4年(690)に皇大神宮の第1回目の御遷宮が行われました。以来長い歴史の間には一時の中断(戦国時代)はありましたが、20年に一度繰り返されて、来る平成25年には第62回目の御遷宮が行われます。
遷宮とは、新しいお宮を造って大御神にお遷(うつ)りを願うことで、式年とは定められた年を意味します。神宮には内宮・外宮ともそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、20年ごとに同じ形の社殿を交互に新しく造り替えます。また神様の御装束神宝も新しくされます。
旧式祭典図絵巻より
Q. なぜ20年ごとですか
なぜ20年かという定説はありませんが、その理由はいろいろ推定されます。まず20年というのは人生の一つの区切りとして考えられるでしょう。また、技術を伝承するためにも合理的な年数とされていますし、掘立柱に萱(かや)の屋根という素木造り(しらきづくり)の神宮の社殿の尊厳さを保つためにもふさわしいとされています。他にも中国の暦学から伝わったという説などいろいろあります。
しかし、神宮の式年遷宮は建築物の朽損(きゅうそん)が理由ではありません。この制度が定められたとき、もう奈良の法隆寺は建てられていました。法隆寺は現存する世界最古の木造建築です。当時の技術で立派に永久的な社殿はできたはずです。
神宮の「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」は、いつでも新しく、いつまでも変らぬ姿を求めて、20年ごとに造り替えることにより永遠をめざしたのです。世界中には永遠をめざした石造の古代神殿がいくつもありますが、世界の建築家や文化学者が「伊勢は世界の建築の王座だ」と絶賛します。それは、原初のスタイルがいつまでも、どの時代にも存在し、今も昔も変らぬまま毎日お祭りがなされているからです。
20年ごとに生まれかわるという発想、これは世界のどの国にも見られないものです。しかも、神宮が新しくなることで、大御神の、より新しい御光をいただき、日本の国の「イノチ」を新鮮にして、日本全体が若返り、永遠の発展を祈るのです。
そこには、常に若々しい生命の輝きを求めて止まない日本の民族性を伺うことができます。
Q. 用材はどれほど必要ですか
新たに造営される殿舎は、両宮正殿、宝殿外幣殿、御垣、鳥居、御饌殿、十四別宮等諸殿舎計六十五棟に及びます。
遷宮に必要なご用材(檜)の総材積は約8500立方米です。なかには直径1メートル余、樹齢400年以上の巨木も用いられます。
屋根に葺く萱(約2万3千束)も神宮の萱山で10年がかりで集めます。かつては神宮備林が木曽の山にありましたが、今は国有林となり、次第に檜の良材を調達することも困難になっています。そこで神宮では、大正時代の終わりから両宮の宮域林で200年後の御用材の確保を目標に檜を育成しています。
宮大工やお屋根を葺く萱工もその養成が課題となっています。

Q. 文化的意義も大きいですね
式年遷宮では、約800種1600点の御装束神宝を古式により新しく作り殿内に納められます。古代のままに、その時代時代の最高の刀工、金工、漆工、織工など美術工芸家によって調製されています。
しかし、太刀(たち)の原料の玉鋼(たまはがね)、染色料、国産絹糸等御料の入手が難しく、砂鉄をタタラで操作する和鉄精錬の技法の継承者も少なく、草木などを用いる染色家、錦織や組紐などの技術者も後継者が実に困難状況になってきています。このような中で、20年毎に繰り返す仕来りによりこれらの技術も受け継がれて来ました。また、わたしたち日本人の生活や社会を支える文化も同時に育くまれて来ました。ここにも遷宮祭の意義があると思います。
現在、第60回神宮式年遷宮の付帯事業として設立された財団法人日本民族工芸技術保存協会では、これらの御料の確保と技術者の養成などに努力されています。
Q. 費用はいくらかかりますか
神宮は天皇がおまつりされるお宮ですから、戦前までは神宮で最も重儀とされる式年遷宮は国をあげての最大のお祭りとされていました。しかし、戦後は制度の変革により政府の手を離れましたので、国民のまごころの結集による浄財によってご奉賛申し上げることになりました。
平成5年の第61回式年遷宮の経費は327億円でした。
第62回式年遷宮の経費については、経済動向が不透明な今日、長期に亘る見通しを立てることは困難ですが、前回の実績を踏まえて伝統技術の継承に掛かる経費増などを考え、一応現時点で約550億円が試算されています。しかし、正式な総経費については今後の検討を待たなければなりません。
Q. とりこわした古材や、撤下の神宝類はどうするのですか
神宮といえばまず思い起されるのが、五十鈴川とその川に架かる宇治橋です。宇治橋には、前と後に2つの大きな鳥居が建っています。この柱は、内宮と外宮の御正殿の棟持柱(むなもちばしら)として20年間使われたものを、削りなおして再利用しています。そのまた20年後は、昔の伊勢街道の入口、関の追分と桑名七里の渡口の鳥居として、20年間再々利用します。その後も関の場合、氏神・春日神社の御手洗の柱や屋根の修繕に用い、まったくムダなく活用されています。これは一例でほかの古材についても、古来から由緒の深い全国の神社にむだなく用いられます。
撤下したお装束や神宝は、明治以前には燃えるものはお焚き上げをし、ほかは土中に埋めていました。神様がお使いになった御料(ごりょう)だから、他に用いることは畏れ多いと考えたからです。しかし、今日では保存し、一部を神宮の博物館である神宮徴古館(内宮と外宮の中間、倉田山にあります)で常時展示しています。参宮の際にお立ち寄り下さい。
